『Wizardry Variants Daphne』
が受け継ぐ、
オリジナル版
『ウィザードリィ』の魂
1981年、サーテック社からApple II用ソフトウェアとして発売された3DダンジョンRPG『ウィザードリィ』。コンピューターRPGの始祖と呼ばれ、国内外、ゲーム業界を問わず、多くのクリエイターに影響を与えているタイトルである。
映画監督、演出家、脚本家の押井守氏も『ウィザードリィ』から強く影響を受けたクリエイターのひとりだ。日本のアニメーション史に燦然と輝く作品の数々を手がけてきた押井氏は、年季の入ったゲーマーであり、『機動警察パトレイバー』、『機動警察パトレイバー2 the Movie』、『アヴァロン』の劇中には、『ウィザードリィ』の多数オマージュが盛り込まれている。
そんな押井氏の『ウィザードリィ』愛は20年以上にわたって片思いの状態かと思いきや、実はお互いの想いを知らないままの両思いであったようである。『ウィザードリィ』の生みの親のひとりであり、作中に登場する“狂王トレボー”その人でもあるロバート・ウッドヘッド氏(TreborはRobertの逆さ読み)は、1988年に(株)アニメイゴという会社を立ち上げて、日本のアニメや時代劇を北米に紹介する仕事をしてきた。ロバート氏は日本アニメの古くからの愛好家であり、押井氏が監督を務めた『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』、『うる星やつら ビューティフル・ドリーマー』等の大ファンなのである。
そして2022年末、両者の顔合わせがついに実現した。日本版『ウィザードリィ』の発売から37年。そして『パトレイバー2』の公開から33年──。
互いにファンである歴戦のふたりのクリエイターは、果たしていかなることを語り合うのだろうか。手に汗握りながら、その模様を御覧いただければと思う。
──押井監督の『ウィザードリィ』好きは日本では有名なのですが、おふたりはこれまでにお会いしたことがなかったとか。今日は、この出会いのきっかけを作ることができて大変うれしく思います。
押井守氏(以下、押井氏):そうですね。初めまして(笑)。
ロバート・ウッドヘッド氏(以下、ロバート氏):ハジメマシテ。(日本語で)
──『アヴァロン』をはじめ、押井さんの作品に『ウィザードリィ』のエッセンスが感じられるものが多いというお話はよく知られています。『機動警察パトレイバー2 the Movie』では、戦闘機のコールサインに、“ワイバーン”、“ウィザード”、“プリースト”、“トレボー”などが用いられました。あれは、『ウィザードリィ』のオマージュといいますか、リスペクトで使われたものという理解で良いのですよね?
押井氏:ああ。はい。もちろん。
──『ウィザードリィ』がそのような影響を与えたことについて、ロバートさんがどのように感じられたのかをお聞かせください。ロバートさんは、テレビアニメ版『うる星やつら』、映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』もお好きということですので。
押井氏:え、そうなの?(笑)
ロバート氏:『うる星やつら』の英語字幕は僕の会社が全部担当したんですよ。テレビシリーズ、OVA版、映画版、全部英語字幕を担当して、リリースもほとんど全て僕の会社でした。
押井氏:ああ、それはありがとうございます。
ロバート氏:『うる星やつら』の字幕製作には全作、僕自身も関わっています。直訳は別に担当者がいたのですが、細かいニュアンスまで伝わるように試行錯誤したり、英語自体も質の高い作品となるように推敲を重ねるという部分を担当していました。今でもキャラクターのセリフを目をつぶって言えるくらいです。本当にすごく思い入れがあります。
質問の話ですが、自分の作品のネタがイースターエッグというか、隠し要素として入っていることはとてもうれしいです。そこまでリスペクトしていただいたことに、感謝します。自分もそういうネタが大好きで、好きなものをあちこちに、名称やセリフなんかに隠し要素として入れていますから。
押井氏:みんな、自分が好きなものとか、リスペクトしているものとかをあっちこっちにばら撒くっていうかさ。『パトレイバー2』の、ウィザード03の"I lost my position"、"request order"っていうセリフ、あれは『ウィザードリィ』のことなんだよね。
──え? それは初めて知りました。
押井氏:たぶん、誰も気がつかなかった。自分がいまどこにいるかわからないっていうのを、ああいうふうに、ちょっと言わせてみたかった。固有名詞だけじゃなくて、文脈というかね。あちこちにじつは入れているんだけど、たぶん1割ぐらいしかまだ見つかっていない(笑)。
まだ見つかっていない9割の中には、『ウィザードリィ』のダンジョンの落書きとかを背景に書いているものもあるし(笑)。そういうのって個人的な楽しみであると同時に、きっと誰かが見つけてくれるんだろうなっていうのがある。10万人が見たら、たぶん100人くらいが気がつくんじゃないかって。それは、物を作っている人間の、密かなお楽しみっていうか。たぶん『パトレイバー2』を観た人間の何パーセントかは、『ウィザードリィ』のことを知ってるだろうなって。だから、『アヴァロン』でもいっぱいやっている、というかやらかしている(笑)。
──わかりやすく、マーフィーという名前が出てきたりもしますよね。
押井氏:マーフィーというキャラクターを、いつか出してみたいと思っていたから。モノを作る楽しみの何割かって、そういうことなんだよね。自分がリスペクトしているものを、自分の手でもう1回出してみたい。それはたぶんね、みんなやっていると思う(笑)。だから本当に、まあ、こういう言いかたはアレだけど、生きてるうちにロバートさんとお会いしたかった。
ロバート氏:ありがとうございます。そういうところ、すごく似ていますね。本当にわずかな人間にしか受けないかもしれないですけれど、そういうネタが自分は好きなんだから、作品に隠したり入れたりしてみたいというのがありますよね。
あまりにも細かいところにネタを隠しているので、10年も後になってファンから「これってもしかしてそういうことですか?」と聞かれたり。「こんなに時間が経って、ようやく気づいてくれたか」ということがあったりしました。逆に、こちらはそういうネタのつもりはまったくなかったんですけれど、偶然にそうなってしまって、ファンに「こういうことを隠してましたよね!」と指摘されることもあります。そういうときは「よく気づいてくれたね! ありがとう!」と言いたくなるんですよね(笑)。本当は意図していなかったんだけど(笑)。
押井氏:そういうこともあるね。でもたぶんそれは、無意識にやってるんじゃないかな。自分が気づかない部分もたくさんあると思う。というか、作品を作るという行為の、もしかしたらいちばん大きな動機になってるかも。それはゲームとか映画とかという、不特定多数を相手にしている表現の魅力だよね。
モノ作りは基本的には全部模倣だと思っている。模倣から出発する。再解釈すると言ってもいい。パクるとかインスパイアとかいろいろな言葉があるけど、僕は再解釈という言葉が好きで、それが基本だと思う。映画は必ず何かの映画のコピーだし、ゲームも同じじゃないかな。そういう意味では、いわゆるエポックになる作品というのがいくつかあるわけだよね。いつも言っていることだけれど、この作品以降は、ゲートを通らないと先に行けないという。映画でいうと『ブレードランナー』とか『エイリアン』もそうかもしれない。
『ウィザードリィ』というのは、ゲームの世界におけるゲートなんだよね。そこを通らないとRPGの世界の先に行けないんだよ。何かしらそこに、無意識であるにせよ、インスパイアされたものがある。そういう作品ってさ、何十年も作品を作っていたとしても、そう何度も作れないと思うわけ。限られた人間が、ちょうどいいタイミングで、ちょうどいい時代に遭遇したときに生まれるものだと思う。『GHOST IN THE SHELL』という作品もさ、こんなにいろいろ語られるようになるとはぜんぜん考えていなかった。どちらかというと、家のローンのために作った感じ(笑)。
──(笑)。
押井氏:ぜんぜん時間がなかったし、10ヵ月くらいで作っているのね。だから、選択肢なんかなかった。自分の能力を超えたところにある、時代と出会うというか。そうやって生み出されたものは長いこと語られるし、そこから先に作られるものに何かの痕跡を遺していくんじゃないかな。『ウィザードリィ』って、僕はそういう作品だと思う。それは素晴らしいことだよね。
だから、ゲームとか映画とかに古典があるかって言ったら難しいんだけど、『ウィザードリィ』は少なくともあと何世代かは語られていくと思う。
ロバート氏:ものすごく同感です。自分よりもすごくいい言葉で伝えていただけたと思います。“Good artists copy, great artists steal(すぐれたアーティストは模倣する、最高のアーティストは盗んでしまう)”というピカソが残した言葉があるのですが、実際には盗むというよりはインスパイアというか、自分のものにするということです。クリエイターとしてどれだけ成功しているのか、わかりやすい指標として、ほかの人がどれだけ自分のネタを採用しているか、再び使ってくれているかということがあるのかもしれません。
50年先、僕たちふたりから影響を受けた作品の、さらに次の世代、またさらに次の世代にどれだけ同じネタが引き継がれているかが、自分の与えた影響を何よりも教えてくれるということですよね。僕の望みとしては、僕の作品が物足りない、ダメだという部分について、自分のほうがよりいいものを作れる、より多くのことを語れるというような、そういう方向でインスパイアされてほしいというのがあります。
──押井さんにとって『ウィザードリィ』は衝撃を受けたタイトルだと思うのですが、初めてプレイしたときのことをお聞きかせください。
押井氏:もう40年くらい前になりますね。30歳を過ぎたくらいだったかな?ちょうどスタジオを辞めてフリーになったときで、仕事がなかった(笑)。めちゃくちゃヒマで、3年くらい毎日ゲームをやって暮らしていたんです。そのときに、ある人に「『ウィザードリィ』っていうすごいゲームがあるんだよ」って紹介された。伊藤和典という、当時の相棒だった脚本家がソフトを持っていて、Macでプレイしているのは知っていたんです。それで、パソコンを買う決心をしたの。
──『ウィザードリィ』のために(笑)。
押井氏:そう、『ウィザードリィ』をやりたくて(笑)。ファミコンをやり尽くしちゃってたんで、パソコンゲームをそろそろやりたいなと思っていた。でも、当時貧乏だったので、「仕事で使うから」と言って奥さんを説得して。
ロバート氏:まずは、奥様に謝罪するべきですね(笑)。自分も同じく、「仕事のために」という言い訳をよく妻にしていました。本当は自分の趣味のためなんですけどね(笑)。その中のひとつがMacintosh II用のグラフィックボード。本来は遊ぶために買ったんですけれど、結局、今の仕事のもとになったので、本当のことになりました。
押井氏:僕が買ったのは98(NEC PC-9801シリーズの略称)。仕事で使うという言い訳だったから、98を選ばざるを得なかった(笑)。一応、ワープロが動くマシンだからね。ただ、当時はパソコンが高かった。クルマ1台ほどじゃないけど、クルマ半分くらいの金額。みんなローンで買ってたからね。アパート代もなかったのに(笑)。
ロバート氏:98バージョンというのは、鈴木茂哉さんのフォア・チューンという会社がローカライズしたものですね。そのとき、僕もローカライズに対応するため、初めて日本に来たんです。結局、このときにできた仕組みが他の言語……フランス語やドイツ語向けのローカライズにも影響しました。その後に出た英語版にも、その仕組みから拾ったネタが反映されています。
押井氏:最初は仕事をするフリをして、そのときにタイピングを覚えたんだけど、それは『ウィザードリィ』をやるときにとても役立った。『ウィザードリィ』は呪文、罠解除がキーボード入力だったから。ただ、スペルミスでしょっちゅう死んで(笑)。
あのころは普通だったんだけれども、今はコマンド入力のゲームって珍しいじゃない。“TILTOWAIT”とか、けっこう打ちにくいんだよね。いちばん大事なときに使うわけだけど、だからこそ間違えると死んじゃう(笑)。
あと、フロッピー版だったので、やばそうなときはリセットボタンやディスクドライブに絶えず手を置いて……。
──(笑)。
押井氏:キャラクターがロスト(消滅)しちゃうとたいへんだからさ。いまのゲームと違って、とにかくハードなわけだよね。オーバーキルだし。最初は死んでばっかりだから。いま思うと、その悔しさがあったからこそ夢中になれたんだなと。いまのゲームはものすごく簡単というかやりやすいじゃないですか。あの当時のゲームってみんなオーバーキルで『ウィザードリィ』はとくにきびしかったから。救済手段がほとんどないという。だからリセット技を使うくらいしか自己防衛できないわけだよね(笑)。
ロバート氏:モウシワケ、ゴザイマセン(笑)。
押井氏:(笑)。
ロバート氏:振り返ってみると、ゲームの厳しさが魅力のポイントになるかもしれませんね。今の目から見ると、ちょっとそれは間違いだったんじゃないかなという感覚がなくはないです。ただ、当時作ろうと思ったものとしては、どうするべきかあまりわからなかったので、試しに作ってみるしかないという感覚でその形になってしまった。でも、最近のゲームのほうがやりやすいというか、厳しさを失っているとまでは言えないと思います。
たとえば、『DARK SOULS(ダークソウル)』はとても難しいゲームですよね。でも、厳しさの定義が変わり、「はい、パーティ全員、死亡しました」と終わるのではなく、難度が徐々に上がっていくようになっています。プレイをこなしていくことによって、自分にピッタリのスタイルを見つけることができるというわけですね。
押井氏:僕は、なんだろうな、ゲームって娯楽だけど、人生に似てると思っているわけ。だから人生と同じで、失敗したらほとんど取り返しがつかないものがあってもいいと思っている。「しょせんゲームなんだから、あんまり入れ込むな」とか当時から言われてたけど、実際の人生と同じかそれ以上に夢中になるというか、熱くならないとゲームをやる意味はないと思うの。
だから、『アヴァロン』の設定(作中のオンラインゲーム「アヴァロン」のプレイヤーは、ゲームをプレイすることで報酬を得て暮らしている)を考えたんだ。これだけ情熱を捧げて、実人生を投げうってプレイしているわけじゃない。ほんと、仕事もしないで(笑)。それで仕事辞めたヤツもたぶんいると思うんだよね。情熱をかけた以上は、実利が欲しかった。こんなに一生懸命やってるのに、なぜお金を稼げないんだろうって。当時はお金がなかったから、なんとかもとを取ろうと思ったわけ。でも、ゲームの中ではもとは取れないから、映画でお金を稼ごうと。
『アヴァロン』は『ウィザードリィ』が元ネタなわけだけれども、映画も作ったし、小説も書いたし(編注:『Avalon 灰色の貴婦人』(MF文庫、2003年)、『ASSAULT GIRLS AVALON(f)』(徳間書店)のこと)、さんざんやったから。ダンジョンについても、アニメでも実写でもやった。だから十分もとは取ったと思います。
ロバート氏:ゲームプレイで、かけた情熱以上の実利が得られるような環境がなかったのは、何よりも良かったと思いますよ。なぜかというと、それができなかったから、僕が大好きなアニメ映画を押井さんがたくさん作ってくれることになったので(笑)。
もし、押井さんがゲームに夢中になりすぎちゃって、それらの映画が作られなかったのであれば、それはすごく残念ですからね。『アヴァロン』は表面上はサイファイ(SF)のアクションで、それだけでも自分は楽しめるんですけれど、先ほど説明したゲームの例のように、作品中の難しい部分に踏み込んでいくことで、哲学的な視線と言いますか、より奥の深い、考えさせるようなところがどんどん出てくる。『GHOST IN THE SHELL』を観て、哲学的なことが頭の中に入り込んで、眠れない日もありました。初めて観たときに「なにこれ?」といろいろと気になったことが、未だに思い出になっています。
──『GHOST IN THE SHELL』ですと、具体的にどのシーンがお好きですか?
ロバート氏:たとえば、清掃業者の男が自分の記憶を全部乗せ換えられていたシーン。人間というのは自分の記憶から出来ているのに、その人間たらしめているところを全部書き換えられてしまって、もう何を信じれば良いのかわからない。すごく深く重い感じのシーンなのですけれど、エンターテインメント性があり、とても楽しませてもらいました。
押井氏:当時は、『ウィザードリィ』の夢をよく見ていたんだよね。基本的に、起きてから寝るまでずっとプレイしてたわけだよね。食事と風呂以外はゲーム。そうすると、夢の中でもダンジョンを歩いていて(笑)。
シンプルだったからこそ、想像力が掻き立てられるんですよ。ワイヤーフレームしか見えないんだけどさ、そのワイヤーフレームの向こう側に対して、妄想をたくましくするわけですよね。酒場にしても、ゲームだとどんな酒場かはわからない。だからこそ小説に書いたり、映像化される。全部見せられちゃうと、そこで終わっちゃうんだよね。
ロバート氏:ワイヤーフレームという形になったのは意図的な話ではなく、当時のパソコンの技術ではそれしか表現できなかったんです。ただ、そういう仕組みになったことによって、自分の意思というか、自分の考え、自分の心がすごくゲームに入り込みやすい形になったということはわかってきました。
現代のゲームは、そういうユーザーのイマジネーションに任せるとか、想像にほとんど任せるというような形から離れてしまっているかもしれないんですけれど、描写されているものが多いということ自体については、手を尽くしたと褒められるべきだと考えています。伝統的なアニメーション映像では、自然な状態ではありえないカメラや背景の組み合わせ、アクションの速度などで印象的な表現を作り上げる。これも、すごく褒めるべきだと自分は考えます。
それと、ゲームの入り込みやすい形というのは難しい面もあると考えています。人は、自分の欲求に従うしかない動物であって、自分の手で止められないという人はいっぱいいる。そういう危険性もあるんじゃないかなと思うんです。ゲームの作り方によっては、人間の心の動きをあと押ししてしまうこともある。そうならないようにバランスを取るのは、すごく難しいですよね。
押井氏:ゲームって破滅してもいいと思うわけ。ゲームじゃなくても、競輪とか競馬とか競艇とかパチンコとかで、要するに破綻しているヤツはいっぱいいる。なぜかというと、人間ってさ、やっぱりハマることが好きなのよ。ハマっているときはたぶん幸せなんだよね、間違いなく。
で、ゲームのいいところって、自分で少しずつやるしかないわけ。競馬とか競輪とかは人任せ。ゲームって、自分で戦術を考えて、戦略も考えて、絶対に時間が必要なわけだよね。だからお手軽じゃない。そのお手軽じゃないところに、ギャンブルとは違う一種のブレーキがあると思う。お金をいっぱい持っている人は毎月100万でも200万でも課金すればいいんだけども。ゲームの中でお金が動くということは、それ自体は経済が回るって意味で健全なことだと思う。
あとはやっぱり、ゲームはすごく知的。考えないとできないわけで。それもね、ある意味でブレーキになっていると思う。ゲームをプレイするには創造的な才能が必要。だから、ぜひ『アヴァロン』のようなお金稼ぎにつながるゲームが出てきてほしい。
ロバート氏:ゲームとお金、という話で言うと、『ウィザードリィ』を発売する前におもしろい議論がありました。海賊版が出回ることについてどう対処するのかを決める会議で、プログラマーの立場として僕が提案したのは、技術上、本物か海賊版かどうかの判別はできるので、電話回線につながっているパソコンで海賊版が起動されたら、有料電話に無理やり電話をかけさせて、それで料金を徴収しようというものでした。
そのときは「サーバーを落とされるからダメ」と却下されました。それ以前に、これを行っていたら私たちは訴えられて刑務所に送られていたかもしれないですね(笑)。なので、実際にはやらなかったことなんですけれど、本当にやるべきことは有料でどうのこうのというのではなく、「海賊版をプレイし続けるとどんどんゲームの難度が上がっていく」とするのがよかったんじゃないかなと今は思っています(笑)。
──押井さんは『ウィザードリィ』のほかにどんなゲームを遊ばれていたのですか?
押井氏:RPGは『ウィザードリィ』よりも前に、ファミコンでもさんざんやったんですよ。『ドラゴンクエスト』とかね。
いろいろなRPGをやったんだけど、基本的にシステムは全部一緒なわけですよね。成長させて、レベルを上げてっていう。買い物をしたり、モンスターを倒してお金を稼いだり、宝箱を開けたり、かりそめのストーリーが微妙に違うだけで基本的には全部一緒なわけ。ひとつ不満があったのは、「ゲームの中で悪いことはできないのか?」ということ。ファミコンのゲームって、「悪を倒して世界を平和にする」というものが多くて。そういうの、イヤなわけ(笑)。
もっと私利私欲でやりたかったから物足りなくなったというか。もっと自分勝手にやりたかった。『ウィザードリィ』は、それに近いことができた。自分のポリシーは、自分で決められるというね。そこらへんが大人っぽいというか、ゲームの中なんだから、日常の価値観とは違うことをしたいという、それを許容するだけの寛容なシステムが『ウィザードリィ』にはあったと思う。
──ワードナを倒せという目的はあるけれど、それは無視してもいいわけですからね。
押井氏:そうそう。バックグラウンドストーリーみたいなことは、ぜんぜん気にしなかった。逆にいうと、自分の妄想のほうがはるかにおもしろかったから。だからさ、ゲームというのは日常と違う次元で自己実現する場なんだよね。たとえば、子どもは漠然とだけどそのことを理解している。一方、親はそういうことを認めずに「ゲームばっかりやってないで、ちゃんと現実を生きろ」という。でも、ゲームの中で獲得したものは現実で獲得したものと変わらないと僕は思っている。ある種の達成感とか、価値の実現だからね。
唯一違うのが、ゲームの世界での自己実現というのは、もっと膨大に拡張されているというところ。だから、そこにハマるんだと思う。子どもだと「ゲームは1日3時間まで」とか言われるけど、大人は好きなだけできるから。大人になってゲームをやってみて、本当に幸せだったというね。自己責任だけど(笑)。
ロバート氏:『ウィザードリィ』は、ゲームの中に入り込んだり、その中で自己実現をしたりといった、コンピューターRPGの元祖だとか、そういう偉そうな言い方をされているようですけれど、自分の中ではもう、ゲームの歴史という長い鎖の中のたったひとつの環(リング)に過ぎないという感覚があります。もともと、インスパイアもとである『ダンジョンズ&ドラゴンズ』や、私が遊びすぎたPLATOシステムの初期のコンピューターゲームなど、当時流行っていたものが自分の作品に影響を与えたわけです。
とはいえ、ゲームに入り込むという、いまお話していただいていることもすごく理解しています。自分も同じく、ハマっているゲームは何年経っても入り込んでいるところがあります。自分のプレイスタイルとしては、あるゲームについて、本来はオーソドックスな遊び方があるのかもしれないけれど、そうではないアンオーソドックスな遊び方、例外のケースを一生懸命探すという、そういう遊び方が特に好きなんです。なので、ゲームの中で自分がしたいと思ったことができない仕様であったりすると不満に思ったりもします。
押井氏:なるほどね。ゲームに感情移入する、その世界のなかにハマっていくという方法というのはいくつかあると思ってて、だいたいのゲームはそのどれかを使っている。僕が重要だと思うのはアバター。キャラクターに自分を完全に投影できるかどうか。
ワイヤーフレームで主観で進むというのはね、やっぱり何かこう、入り込みにくい部分はあった。世界はあるんだけど、依り代となるキャラクターがいないということなの。でもそれを自分の想像の中で、本当に文字通りカスタムすることができた。ゲームの中の自分というキャラクターは、ひとりしかいないわけ。それは『ウィザードリィ』をやってもほかのゲームをやっても、たぶん同じやつなんですよ。だから僕はゲーム用の自分はいつも同じ名前でやっている。イヌマルっていう(笑)。
──(笑)。
押井氏:どんなゲームをやっても、その名前でやるわけ。それって、ゲームの本質的な部分だと思っていて。そういうのをいちばん最初に、いわば基礎づけたのが、『ウィザードリィ』だと思っているわけ。なぜそれができたかというと、キャラクターに人格がなかったから。正反対だったのが、『ウルティマ4』で、これも相当なオーバーキルだったけど、1回やったきり、2度とやらなかった。
なぜかっていえば、偽善者にならないと勝てないゲームだったから。僕は聖人じゃないし、べつに聖人にもなりたくなかったの。そういうところがいいんですよね、『ウィザードリィ』は。
──自分の使うキャラで首を落とせるほうがいいわけですね(笑)。
押井氏:やっぱり僕はさ、RPGをやるときの本質というのが、暴力と略奪なんだよね。これはね、変わらないと思う。思いっきり欲望を発散したいわけだよね。実は、映画がそうだから。映画だって、悪人の主人公はなかなかやりづらいね。だからさ、そこを工夫するわけだ。大義名分があれば、何百人殺してもOKっていうさ。ゾンビ映画がそうだよね。あれは人間じゃないから、何万人殺してもOKだって。ぜんぜん良心が痛まない。そういう仕掛けをみんな考えるわけじゃない。
なぜかと言ったら、やっぱり良心が痛まないことを前提にして、思いっきり悪いことをしたいわけだよ。そのシステムを作るのがゲームの使命だと思っている。『ウィザードリィ』だって、僕もワードナは何十回も殺したけど(笑)。そういう仕掛けを作るのが映画の仕事であり、ゲームの仕事でもある。これは悪いことじゃないと思っているわけ。
ロバート氏:基本的には、自分も同意見です(笑)。暴力などの表現は、とりわけ頭のいい、面白いやり方でやればやるほど、良いと思います。暴力のためだけの表現というのは、あまり受け入れられない。でも、面白いやり方をするとスルーしてくれるというか、認めてくれるというところがある。たとえば『ドラゴンクエスト』には、“ぱふぱふ”という表現がありますが、シナリオ的に面白い表現ですよね。すごく賢くできているシーン。小さい子どもだと何を言っているのかわからないけれど、大人になるとそういうギャグだったと気づく。現代の映画にもよく、そういう仕組みがありますよね。ジョークのところを大人にも子どもにもちゃんと両方見せられるように作るのがすごく賢いやり方で、世間的にも通用しやすい状況ですね。
押井氏:ゲーム、まあ映画ももちろんだけど、そういうユーモアというか、おふざけというのがどこかにほしい。冗談とか、余裕の部分。器にきっちり収めるんじゃなくて、器が広くなってることが大事。PCゲームだと最近はMODがゲームの許容度というか、器の広さを生み出している。見た目だけじゃなくて、自分の固有の物語を作り倒すためのツールにもなっているんだよね。だから同じゲームでも、いいMODに出会えばもう1回やり直そうとなるし、何度でも遊べる。MODをどう評価するかについては、いろいろな考え方があるとは思うんだけど、日本のゲームにはMODの文化は根付いてないんだよね。日本のゲームメーカーにはMODについてもっと真剣に考えてほしい。ゲームの文化がもっと豊かになると思っているから。ロバートさんがMODについてどう思っているのか、ちょっと聞いてみたいな。
ロバート氏:僕もゲームをやるときはだいたい、複数のMODを動かしてやっていますね。基本的に自分が使っているMODは、ゲームのやりやすさというか、もともとあるべき機能を高めるMODを導入してプレイすることが多いです。MODという文化は、もっと尊敬されて良いと思いますよ。プレイヤーとしてだけではなく、クリエイターとしても、もともとのゲームを遥かに超えていくMODについては、尊敬するべきだと思っています。自分の手で実現できるというのも、良いですよね。じつは以前、自分でMODを作ったこともあります。技術的なノウハウはどうしても必要なんですけれど、もっと増えるべきだと思います。
押井氏:だから、有料でいいと思うんだよね。有料にすれば、作る人間も増えるし、競争原理が出てくるわけじゃない。それこそ、ゲーム本体よりも高くてもかまわない。とくにシステム的に関わってくるMODを有料にすることで、ゲームの文化の一部になるんですよ。それで食えるようになれば、みんなもっとがんばるわけだし。やっぱさ、お金が絡まないと、人間って真剣にならないんですよ。これは僕の経験則(笑)。
71年生きてきて、つくづく思うんだけど、お金が絡まないと人間って真剣にならない。映画だって同じなんだよ。配信で見放題になっちゃうとさ、やっぱりどんどん映画がダメになるなという気がするわけ。お金を払って見ると気合が入るわけだよね。でも、映画だって入場料を払ったらそれで終わりで、あとはパンフレットを買ったり、グッズを買ったりしかない。ゲームってもっといろいろなところでお金の使い道が作れると思う。それをもっと追求してほしい。
もっとうまいお金の使わせかたをすれば、重課金者とか廃課金者なしでも成立する、幅広くプレイヤーが集まる仕組みがあると思う。MODなんていうのは、その最たるものだと思ってて。だからメーカーが自分で作ったっていい。DLCは売ってるわけだからね。
たとえば、MMORPGはコミュニケーションの場としての性質もあるわけだよね。チャットをするためにゲームに集まる。だったらそれを酒場に限定して、酒場で金を使ってもらうとか、そういうことを言いたいわけ。だから、ゲームはもっとバンバンお金を使わせるシステムを作ってほしい。ただし、中毒性のあるガチャみたいな、賭博性の高いものじゃなくて、正当な見返りがあるっていうものを。それはゲームの良心……まあ、知恵だよね。それはまだまだ未開発だから、ゲームにはがんばってほしい。
──最後に、ドリコムの『ウィザードリィ』新作、『Wizardry Variants Daphne(ウィザードリィ・ヴァリアンツ・ダフネ)』についてお聞かせください。今回は「自分だけの冒険」をテーマに、自らが主人公となって世界を冒険するという、古き良きRPGで得られた原体験と改めて向き合った作品とのことです。今回のお話にも出たように、往年の名作が持っていた魅力を再解釈し、現代に向けて発信することを目指しているともいえるかと思います。押井さんは新しく生まれるWizardryに何を期待しますでしょうか?
押井氏:僕は「こうしてほしい」というのははっきり持っている。それは「お金を使わせてくれ」っていうこと(笑)。
ゲームってさ、今、難しい時期だと思う。本当に夢中になるゲームって、10年に1本くらいしか出てこない。夢中になりたいという欲求だけが充満している状態。その欲求の拠りどころがないんだと思う。日本の課金要素のあるゲームでいうと、課金することで欲求を満たそうとしているよね。作品がそこに成立していなくて、システムだけが機能しているんですよ。そうじゃなくて、やっぱりゲームっていうのは、世界観の中に自分がどれだけ入り込めるかどうか。
そこは映画とまったく同じ機能だと思う。でも、ゲームは映画と違って、ハマり方のケタが違う。映画は1回観たあと、だいたい3日経ったら忘れてしまう。一方、ゲームってのはさ、別の人生を生きてる時間なんだよね。そこは、ハマりかたのレベルが違うと思う。だから、そういうゲームが出てくることを僕も期待しているし、じつはみんながそれを望んでいるはずなんだよね。要するに、現実以外で夢中になりたいんですよ。人間というのはそういうふうにできてる。現実だけでは生きられないように作られているんだよね。だから、ものすごく期待したいし、そのために、必要なのは、何度も言うけれども……お金を使わせてくれっていうこと。
──ロバートさんはいかがですか?
ロバート氏:『Wizardry Variants Daphne』をユーザーが実際にプレイしたときに、どういうリアクションをするのか楽しみにしています。自分も開発中のバージョンをプレイさせてもらいましたが、漢字がちょっと読めなくて(笑)。ただ、僕が遊んだ限りでは、原作の感覚を現代に引き継いでくれているような感覚があります。『ウィザードリィ』らしさが、最新作に伝わっているというような感覚。その意味で、僕のビジョン、意見といったものを声を大にして言うのは適切ではないかもしれません。
『ウィザードリィ』については、自分は最初の何作かしか作っていなくて、その後のタイトルは別のチーム、別の開発者が作ったものです。そういったタイトルに対して、「自分の色がついていることが適切で正しい流れ」というのは、極端な意見になってしまう。次の世代にお任せして、そうして出来上がった作品が自分の理想をはるかに超えた作品になっていることを期待したいですね。結局は作り手である彼ら次第で、ちゃんと自分が満足する作りになっているのかというのが、いちばん重要なポイントだと思います。
──本日はありがとうございました。